ワークアウト虎の巻

骨格が華奢な人でもカッコイイ体を目指そう!

筋トレで精神まで肥大させないためには

 嫉妬をしない時代

一昔前まで嫉妬は当たり前の風景でした。

 

「あいつが昇進するらしいぞ!」

 

そんな話に青筋を立て嫉妬を滲ませるのは

当たり前の風景でした。

 

しかしそれはもう古いです。

 

他人は他人。

 

我は我。

 

優秀な人や運の良い人が上に行こうが自分には関係ないです。

それを自分のモチベーションにすることもありません。

あくまで自分は自分。

 

インターネットで上には上がいることを嫌が応にも知らされるし、

もし向いてない、嫌だとなったら簡単に道筋を修正出来る選択の自由も増えました。

半ば強制的に就かされた仕事を狭い世界で一生やり続ける時代ではないです。

 

そもそも今の時代、嫉妬をエネルギーに変え励んだところで

パイが限られているため徒労に終わることが多いんですね。

何をやっても追いつけないほど格差が広がったとも言えますが。

 

また、嫉妬をエネルギーに変え、

他人の足を引っ張り自分の品性を落としながら

上に登り詰めたところで、その組織そのものが買収されたり、

不祥事を起こして下落したりする可能性が大きいことを、

最早会社は人生を守ってくれるものではないことを、

若者は知っています。

 

上昇志向は現代において虚しいです。

 

はっきり言います。

 

今の時代嫉妬というエネルギーは使うだけ無駄です。

 

嫉妬がなくなり平和な世の中になったかと言えば

そうではないです。

 

現代では嫉妬がなくなった代わりに、

自己愛が肥大している傾向にあります。

 

さらに嫉妬するしない以前に、

自分をステージに置かない人も増えています。

 

ステージに置かず自分を保護します。

自分が傷つかないよう保護し、「本気を出してない」、

「無駄」、「コスパが悪い」などの自己弁護。

さらに自分は特別な人間なので、嫉妬のような低俗な感情は持たないと宣言し、そんな自己愛を持ちます。

自分をステージに置かないのだから、他人との関わり合いの中で、

矯正されていくこともありません。自分の世界において、

自分は唯一無二の存在になれます。

 

自分への愛は他人への愛だという言葉があります。

自分を丁寧に扱えてる人ほど、他人にも同様に扱うし、

自分を大切に出来ない人間は他人も大切に出来ないという話です。

 

それと同様に歪んだ自己愛は他人への接し方にも悪影響を及ぼします。

 

また、自分の身を自分で守る自己保身が重要になってきたことも大きな要因です。

自己保身が強まれば自ずと自己愛も強まる傾向にあります。

 

自己愛が肥大した末路

自分はジャンルを問わず年間600冊は本を読むのですが、

久しぶりに面白い小説を読みました。

 

 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

 

 という小説です。

 

以下要約

 

主人公の姉は自分が大女優になると信じて疑わない。

文化祭の演劇で主役を演じ、それを白けた目で見られるような、普通なら現実を思い知らされる場面でも姉は「自分は素人には理解できない特別な人間だ」と一層自信を強めていく。

 

容姿が「田舎の中では良い方だ」というだけの理由で、

何故姉はこれほどまでに自信を持てるのか?

「自分が特別だ」と信じて疑わない根拠はどこにあるのだろうか?と

主人公は姉に興味を持つ。

考えれば考えるほど、観察すれば観察するほど確信を強めていく究極の答えは

「ない」だ。

主人公は根拠のない自信を持ち続ける姉が

「現実をどう生きていくのか」に興味を抱き、熱狂し没頭していく

姉を観察し続けられるなら、それだけでいいとすら思うようになる。

 

高校卒業後、女優になるため上京したいという姉に、

貧しい農家にそんな金はないという父。

埒の明かない話し合いの挙句、姉は暴れて兄の顔をナイフで切ってしまう。

さらには売春で上京資金を稼ぎ始める。

それらの様子を誰かに伝えたい欲求に耐えきれなくなった主人公は漫画に起こし出版社へ送ってしまう。それが賞を受賞し雑誌に載ったことで姉の人生は狂い始め、

主人公は姉に酷く虐められるようになるのだが、主人公はその様子をも漫画にしてしまう・・。

 

「自分は特別だ」という世界で生きる姉は

「自分は特別じゃない」という現実にどう対処していくのか?

 

それとも姉が世界を飲み込み、

「自分が特別」な現実を作ることが出来るのか。

 

 このような本となっております。

逆に需要に答えてみる

自分が最近よく思うこととして、

 

愚直、泥臭く、滅私奉公などの精神性は、時代遅れではありますが、

依然40代以上に求められているものでもあります。

 

意外と需要が高いのに、若者の供給がないのです。

その利がないと思われてるから当たり前なんですが、

 

だからこそ、あえてその泥を踏んでみます。

 

需要に対しての供給として答えてみる。

というのもありなのかなと思います。

 

さらにその上で、

 

ガラスのような自己愛を持たず、

 

明るく元気に前向きに!!

 

そしてあくまで現実の中で

 

強気で生きることが出来ればなと。

 

酒飲みながら書いてるので、

わけがわかりませんが、何となくでもわかりましたでしょうか?

 

 

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

 

 

 

 (この本も面白かったです。この記事とほぼ似たようなことが書いてあります。)

 

 

世界が変わらないなら自分を変えれば良いんです。

 

今まで黒だと思っていたものが

 

白だと思えるような

 

そんな精神の改善方法に出会うためには

 

やはり読書が一番だと私は思います。